牛の民主主義
By toyota | 2007/6/19 | Category: 豊田理事長Blog | 閲覧数(166 )
ちょうど昨日の例会のときに市民と行政の協同の話が出て、牛の民主主義の話を思い出した。以前書いた東北地区協議会のゼミナール開校式での村岡先輩の講演の話にも少し書いたが、思い出せる限りで書いておく。
あるところに牧場があった。そこに牛が飼われていたが、あるとき牛たちが文句を言い出す。「もっと広いところに出たい」「自由にえさを食べたい」。そこで牛たちが飼い主に言った所、飼い主は、ああわかった、自由にしていいよと、牛たちを自由にする。最初はうれしくてそこら辺を歩き回るが、そのうちいい場所をみんなで争ったり、餌が足りなくなったりで困ってくる。そこで飼い主にどうにかしてくれよというが、飼い主には、自由にしてやったんだからそれは自分で何とかしろよと言われてしまい、結局もとの形に戻ってしまう。
あるところに牧場があった。ところがそこの牧場主が死んでしまい、その息子が世話をすることになった。ところがその息子はまだ子供だった。どうにか世話をしようとするが、さすがに手が回らない。そこで牛たちがその子供に言った。「大変そうだから手伝ってやるよ」。牛たちは餌の準備や散歩や牛乳の運搬を手伝って自分たちでするようになり、その牧場は子供の飼い主と協力してどうにかやっていくことができるようになった。
細かいところは違うと思うが、ニュアンス的には大体あってると思う。行政というのは、自分が一人でできないことを、代わりにやってくれるというのが仕事だと思う。つまり、行政の仕事は、本当はは自分達でしなくちゃいけないこととも言える。
これから遠野も人がどんどん減っていくわけだが、いろいろ不便になったとき、まあしょうがないから遠野は捨てて人の多い所に住むか、だったら自分でやってやるよと遠野に住み続けるか、その決断は遠野に住む人達にゆだねられる。どっちだろうとかまわないが、遠野に生まれて損したなというのは納得できない。よく言われる地域格差の問題は、そこに住む人の意識次第じゃないのかなあ。
