Archive for 6月, 2007
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2007/6/30 このブログに初めて今淵先輩からコメントいただきました。どうもありがとうございます。コメント書けるとは知らなかった。記事単独を選択するとコメント欄が出るのね。このHPの構成は基本的に酒井先輩に頼りっきりなので、どうやっていじるかよくわからなくて。酒井先輩、本当にお手数おかけしています。よかったら、他の人もコメントお願いします。少しやる気が出ますので。
だいぶ前に沼田先輩にコメリで会い、奥さんが岩手日報に載っていましたねという話をしたら、今度バイパスで食事の店を出すということを聞き、今日ちょうど行ってみました。バイパスの以前蕎麦屋さんがあったところで、カウンターの所に奥さんがいて、奥に調理している人がいるなあと思ったら、沼田先輩本人でびっくり。カレーを頂きましたが、おいしかったです。お店もきれいで、さすがに沼田さん夫妻はセンスがいいなあと感心しました。
しかし、普段、夕食は実家に帰って食べるのだが、今日の夕食がカレーだったことは内緒だ。まあ、昔学生のころはカレーを作れば3日はカレーだったことを比べればまだましだ。学生のころは野菜炒めとカレーがローテーションしていたなあ。作るの楽だったし。
明日は高田で会員大会なので、ウニを食べて日本酒を飲む予定という、たまには普通の日記ぽいこと書いて地道にエントリー数を稼いでみました。明日は晴れますように。
みんな違って ちょうどいい
2007/6/30 おととし遠野が35周年で、自分が担当の委員長だった。ちょっとした事業を考えていたのだが、そのためのパネルディスカッションをと考え、誰を呼ぼうとかと考えたとき、ツーリズム大学でお話を聞いた、福島規子氏を呼べないだろうかと考えた。非常に忙しい方だったので、交渉が大変だったが、どうにか来てもらい、様々な面で貴重な意見を頂いた。
終わってからも何かとご意見を頂けたのだが、あるとき一冊の本を薦めてもらった。「フロー体験 喜びの現象学」という本で、中身は哲学なのだが、これが非常に面白い。機会があればぜひ読んでほしいけれど、自分的には考え方がレベルというか、ステージが一段階か二段階くらい上がった感じ。中身を簡単に説明すれば、結果を達成することに幸福を感じるようにすると、達成した後に喪失感を持つ。むしろ、その過程に楽しみを持つべきだといった内容。まあ、本当に面白いので読んでみてください。
その本の中に書いてあることで、人間は進歩してきたかのように見えるが、周りにあるものを利用できるようになっただけで、その本質はまったく進歩していないという一節がある。人間が地球上に現れて何年経っているか知らないけど、いつまでたっても平和にならずに同じことを繰り返しているところをみると、まあ、それもそうかという気もする。
新聞やテレビで様々なニュースを見ているとどんどん気持ちが暗くなるが、つまり、基本的に人はどこまで行ってもしょうもないということかなと思う。楽な道と苦労する道とどっちがいいかといえば、どうしても楽なほうに流れるし。だからダメかといえば、そうだとも思ってなくて、人はそういうもんだと思えば別になんとも思わない。むしろ、みんな同じ考えだという方がおかしいことになりそうなので、人はそれぞれ違ってちょうどいいんだと思うという、題名どおりの結論に達するここ最近の自分。
ちょうど半分
2007/6/30 今日で、ちょうど今年も半年ということで、軽く総括。
まあ、思ったとおり、もしくはちょっと下まわる展開。思ったとおりといっても良い意味ではなく、最初に予想した程度という意味で。まず、各種参加率が悪い。これはここ数年ずっとそうなのだけど、理事会にしろ、例会にしろ、各種大会にしろ、人が少ない。理事会は内輪だからまあともかく、例会に人が少ないのがなあ。正直なところ、人を呼んでもこちらが少ないので、非常に申し訳ない。少ないだけならまだしも、集合にも遅れるのだから、なおさらだ。時間に遅れてくる人は、正確に来ている人の時間を無駄にしているということに気づいてほしい。
例会自体の中身は結構いいレベルだと思う。といっても、ここまでの例会は基本的に誰かを呼んでという形が多いので、レベルが高いのは、来ていただいている人のレベルが高いということで、当ロムのおかげというわけではない。大体理事会での議論が甘いから、例会が人任せになる。
予想を越えている部分というと、田中副理事長と工藤専務のがんばりだ。田中副理事長は今年が最後の所を無理を言って副理事長をお願いした。しかし、夜は出にくいにもかかわらず、理事会にも例会にも積極的に参加していただいている。いつも気を使ってもらっていて、非常に感謝しています。工藤専務は昨年入会したばかりで、こちらも無理を言ってお願いしたのだが、いろいろ手伝ってもらっている。仕事に関しては、昨年専務だった自分がもっと申し送りをしっかりとしておけばもう少し楽にこなしてもらえたはずで、ここは反省点。
会員勧誘もいまいち。今のところ、新田君が入会したのみ。自分としては、会員開発は会議所自体の中身をアピールして、そこに興味を持った人に入ってもらうのがベストだと思っているが、そういった勧誘は難しいか。まあ、自分も先輩にまあいいからと言われて入会して、入ってからまちづくりの団体だったのかと気付いた位だから、大きなことは言えないか。
明日は陸前高田で会員大会が開催される。その場で来年度の岩手ブロック会長が発表される。当ロムを含め、各ロムでもそろそろ次年度の理事長の選出に向けて動き出す。とはいえ、今年度はまだ半分残っているので、今後どうすべきかを含め、いろいろ考えてみます。
先は長い
2007/6/28 最近暑くてやる気がおきず、ブログの書き込みもしてなかったので、まとめて書き込んでみました。
宮古や一関の理事長さんはほぼ毎日書き込んでいるのであれに追いつくのは難しいが、とりあえず去年の西山直前には追いつきたい。しかし、それでも60以上記事を書いているんだよなあ。いまだ半分にもなっていない。これからは今日食べた食事でもブログにあげるか。
自分の住むところ
2007/6/28 自分、よく言えばインドア派、悪く言えばオタク気質なもので、休みの日といえばマンガを読んでる。ここ最近、マンガ以外の本を買っていない。暇になればマンガ喫茶に行く。そんなんでいいのかね。
「プラテネス」という近未来の宇宙を題材にしたアニメがあって、その中で紛争に巻き込まれている貧しい国の技術者が、どうにか苦労して自分たちで作った宇宙船で宇宙に来るという話がある。いろいろな妨害を受けながら宇宙に来たとき、「ああ、宇宙から見ると国境線なんてないんだな」とぽつりと言う。当たり前なんだけどハッとさせられた。
この前見た「風のダドゥ」の中で、じいと呼ばれる老人が、阿蘇の山脈が見渡せる所で、「この山全部やる」と主人公の少女に言うシーンがあった。どういう意味で言ったのかはわからないが、それぞれの山には所有者がいるかもしれないが、権利はともかくそれを独占することはできないのだと、自分はその言葉から考えさせられた。
ふるさと納税の話が議論になっている。地方交付税のこともあって簡単には言えないが、都市の人達が困っている所を助けてやるのはいいんじゃないと思っている。遠野市というくくり、岩手県というくくり、日本というくくりが問題を難しくしてるような気がする。同じ地球の上に住んでいるのだから、そんなこと気にすんなよと簡単に考えてしまう自分は楽観的すぎるのか。
教育の話
2007/6/28 ちょっと前に、政府が提言した「親学」というのが問題になった。中身はまあ当たり前的なことだったが、そんな事を国に言われる筋合いはないといった感じで批判を受けていた。
自分も、そんな事言われなくてもわかってるよと結婚もしていないのに思ったが、実際にそれを提言した人達の意見を新聞で読むと、当たり前だと思ってくれる人達はまだましで、本当に伝えたい人達は新聞もニュースも見ないので、そんなことに興味すら持たないと書かれていて、問題の根の深さに驚いた。
さて、遠野も他の地域と同様で、人口が減っている。そうした中で、学校の再編問題が最近取り上げれられている。こういった過疎化する地域では、ある程度統合して競争できるような状態にすべきか、生徒が少なくても地域に学校があるべきか、どちらがいいのだろうとたまに考えていたりした。6月の例会の際、教育長も務められ、教職に長く就かれていた佐々木譲氏に、過疎地域での教育とはどうあるべきかと聞いた所、教育は知識を教えるのではなく、その学び方を教えるべきだという意見を頂いた。なるほど、そういう考え方もあるかと感心させられた。
確か去年青年フォーラムに行ったときの夜、近現代史がそんなに大事かと和文さんと議論になった。その時自分はそれほど大事だと思っていなく、今の歴史教育が間違っているというのに納得できなかった。教育が間違っているということは、自分が学んできたことが間違っていたということになり、ある意味、自分の自我を否定されているような気がしたからだ。
最近、ゆとり教育の見直しとか言われているが、そんなにちょこちょこ教育方針を変えていいのかが気になる。少なくともここ数年間はその方針で進めていたわけで、その子供たちは、自分は間違った教育を受けていたと思い込まないのだろうか。結局の所、譲氏の言うとおり、大事な所は自分で学ぼうとしなくてはいけないというのが今回の結論。
近現代史のその後
2007/6/28 3月例会で取り上げたアニメ「誇り」が大変そうになっている。メールマガジンによると、文部省との委託契約は結ばないことになったそうだ。
まあ、今回の件に関しては、日本JCの進め方がまずかったんじゃないかと感じている。「確かな歴史を子供達に教える」と言ってあのアニメを見せれば、あの内容が確かな歴史なのかと疑われるのもしょうがない。自分も最初見たときにはこれをそのまま子供達に見せるのには抵抗があった。遠野青年会議所は人数が少ないとはいえ、これまで先輩たちが積み上げてきた実績があり、少なからずまちづくりの組織として周りから認識されている。そういった多少影響力のある団体が、その内容を検証することなく、子供達に「誇り」を見せてこれが確かな歴史だといっていいものかという疑問があった。
まあ、実際には3月例会での小瀬川学君の話を聞いて、そういった歴史観の押し付けではなく、近現代史を再考するきっかけを与えたいという考えを聞いて納得したのだが、日本JCがすすめるようなまずアニメありきのやり方だと再考のきっかけになるとは考えにくい。
近現代史の問題は非常に扱いが難しい。日本を守ろうとして死んでいった人がいる。その人達に感謝する。その人達を靖国神社で奉っている。だから靖国神社に行く。そこにはA級戦犯の人達もいる。戦犯を拝んでもいいのか?しかし、その裁判のやり方にも問題があったのでは。と、どんどん難しい問題になっていき、どちらが正しいのか判断が難しくなる。
そうしたときに、どちらが正しい(という言い方があっているのかも迷うが)のかをもう一度考えてみようというのは大事なことだし、そういった意味で近現代検証委員会の取り組みは評価すべきだと思う。そう考えたときに「誇り」がああいった形で取り上げられてしまい、本質から離れてしまっているのは非常に残念だ。
理事長で困ったこと
2007/6/23 理事長として苦手なことがいくつかある。
まず一つは理事長としての挨拶がうまくできない。角田先輩がブロック会長を務めたとき、会長としての挨拶は、聞いてくれる方に何か持って帰っていただけるように内容を考えたと聞き、なるほどと思って自分もそうしようと思うのだが、毎回行き当たりばったりで話してしまう。結果的に話の合間に「えーっと」とか沈黙が入って情けない。
次に、人の名前を覚えれない。いろんなところに顔を出しているもんで、普段すれ違いざまに「あ、どーも」とか挨拶されるが、誰だったか思い出せない。しょうがないので適当に話をあわせて内容から思い出そうとしたりする。最近は岩手ブロック内の人の名前すら忘れてきているあたり、ボケてきてるのではという気もする。
最後に、懇親会が苦手。特に知ってるような知らないような面子のがダメ。いくら飲んでも話す内容が思いつかないのでまったく酔えない。人見知りが激しいので、自分から話しかけるのも苦手だし。結果的にすることがないので、タバコの本数が増える。
ああ、理事長はつらいなあ。ついでにしいたけも苦手です。
公開討論会その2
2007/6/23 昨日、江刺で開催された参議院議員選挙の公開討論会を見てきた。西山直前理事長がコーディネーターのもと、候補者同士の討論が行われたのだが、やはり、実際の討論のほうが面白い。事前の共通問題への原稿棒読みの回答よりよほどいい。これからの公開討論会は全て討論でもいいんじゃないかしら?
最初に○×式の一問一答を行ったのだが、最初の質問が赤ちゃんポストに賛成か反対かという質問で、一人の方が×をあげた。なぜ×をあげたのか気になったがそこに関しては触れずに進行された。
今朝の岩手日報にイーデスハンソンさんの文章が載っていて、これが普段自分が思っていたことに近い。要約すると、自分ができるからといって他人ができるわけではなく、逆にみんなができることをできない人もいる。人はそれぞれ違うのだから、どちらにしてもできないことを責める事はできないという内容だった。
そこで赤ちゃんポストに触れていて、赤ちゃんを育てられないなんて何事だと責める事は簡単だが、子供を育てられない人にとってはどうしてもできない事情があってのことで、その事情を知らずに押し付けることはできないと言ったことが書かれていた。
新聞読んでいてよく思うが、記事の大きさと中身の重要さは比例しない気がする。一面に載っている年金問題より、慶弔欄に載っている死亡記事のほうに深く悲しむ人もいるだろう。何がその人にとって重要かというのは人の数だけあるのだろう。
赤ちゃんポストに×をあげたあの人は、赤ちゃんポストがまったく許せなかったのか、少しは理解できる部分があったのか、どちらだったのかが今でも気になる。
牛の民主主義
2007/6/19 ちょうど昨日の例会のときに市民と行政の協同の話が出て、牛の民主主義の話を思い出した。以前書いた東北地区協議会のゼミナール開校式での村岡先輩の講演の話にも少し書いたが、思い出せる限りで書いておく。
あるところに牧場があった。そこに牛が飼われていたが、あるとき牛たちが文句を言い出す。「もっと広いところに出たい」「自由にえさを食べたい」。そこで牛たちが飼い主に言った所、飼い主は、ああわかった、自由にしていいよと、牛たちを自由にする。最初はうれしくてそこら辺を歩き回るが、そのうちいい場所をみんなで争ったり、餌が足りなくなったりで困ってくる。そこで飼い主にどうにかしてくれよというが、飼い主には、自由にしてやったんだからそれは自分で何とかしろよと言われてしまい、結局もとの形に戻ってしまう。
あるところに牧場があった。ところがそこの牧場主が死んでしまい、その息子が世話をすることになった。ところがその息子はまだ子供だった。どうにか世話をしようとするが、さすがに手が回らない。そこで牛たちがその子供に言った。「大変そうだから手伝ってやるよ」。牛たちは餌の準備や散歩や牛乳の運搬を手伝って自分たちでするようになり、その牧場は子供の飼い主と協力してどうにかやっていくことができるようになった。
細かいところは違うと思うが、ニュアンス的には大体あってると思う。行政というのは、自分が一人でできないことを、代わりにやってくれるというのが仕事だと思う。つまり、行政の仕事は、本当はは自分達でしなくちゃいけないこととも言える。
これから遠野も人がどんどん減っていくわけだが、いろいろ不便になったとき、まあしょうがないから遠野は捨てて人の多い所に住むか、だったら自分でやってやるよと遠野に住み続けるか、その決断は遠野に住む人達にゆだねられる。どっちだろうとかまわないが、遠野に生まれて損したなというのは納得できない。よく言われる地域格差の問題は、そこに住む人の意識次第じゃないのかなあ。
